試作板金工場は2拠点あります

株式会社ワイビィーは大阪工場(本社)と岡山工場の2拠点体制で試作板金加工品の製造を行っております。

大阪工場(本社)は、大阪市東成区に位置し、2025年の大阪・関西万博の年に東成区が誕生して100周年になる大阪市の区の中でも古く歴史のある区です。同区には経営の神様で知られている現パナソニックの創業者「松下幸之助起業の地」の石碑があります。また、近隣には難波宮跡、大阪城、真田丸等歴史的遺産と上方落語、文楽、演劇舞台、お笑い劇場など文化・芸術に、「天下の台所」としてのくいだおれの街、そして、テーマパークであるユニバーサルスタジオジャパンといった観光スポットが盛りだくさんです。大阪の地は時代を越えて、人々を魅了し続け世界に名を馳せています。 

岡山工場は県北に位置する勝田郡勝央町にあります。岡山県は「晴れの国」と呼ばれているほど、とても気候が良く温暖で災害も少ない地域です。また、自然に恵まれ海の幸、山の幸の食材が豊かにあり、フルーツ王国としても知られ住みやすく大変魅力がある県です。我々の所在する工場近隣には勝央工業団地があり、製薬会社をはじめものづくりの工場が立ち並んでいます。

お客様のエリアは関西のみならず北海道、関東、中国地区と広い範囲でお取り引きしております。

弊社、創業の地は大阪で昭和25年、1950年に設立されました。創業当初は自動車、特殊車両のフェンダーやボディシャーシを手作業で切断しハンマーで叩き出し、別のパーツ品を溶接、組み立て改造、塗装し新車同様の仕上がりに完成する仕事を受けていました。戦後の復興需要の波に乗り、徹夜するほどの仕事量があったそうです。(今では考えられません。)

創業から10年ほど経った昭和30年代の後半に、大手メーカーから「試作板金品」を製作してみないかと声が掛かりました。当時の自動車鈑金の仕事は運ばれてきた目の前にある車両を再び蘇らせて、お客様に喜んでもらえる仕事にやりがいと誇りを感じていました。それと同時に目の前にないかたちのないものを一からつくる試作板金という仕事にも魅力を感じ、これから成長が見込める業界と今までやってきた技術(職人技)が活かせるチャンスであると捉え仕事を受けることになったそうです。

そうした決断で、車両の改造と試作板金の仕事を並行して進むことになりました。日本の高度経済成長の波に乗ってメーカーの新商品の販売が増え、その開発品である試作板金の仕事の方が次第に多くなっていきました。昭和40年代後半以降は殆ど試作板金の仕事が占めるまでになりました。しかし、その当時は現在のようにNC機械もなく、殆どが職人の手技の仕事であった為、金属板をカットするだけでも大変な作業で時間と労力が掛かっていたと聞きます。その当時は仕事量が多く、お客様の納期より製品が出来た時が納期という今では考えられない時代だったそうです。

そして、昭和57年に先代社長から二代目社長に世代交代してから、当時では革新的であったレーザー加工機を他社よりいち早く導入し、ものづくりの現場が大きく様変わりしていきました。お客様の納期を守らないことには信頼を失ってしまう!その強い思いから今まで分担制にしていた作業を、作業者一人で製品を完成させる多能工化を推し進めました。手作業で加工するより機械を使った方がはるかに早く品質も安定する。しかし、その機械を扱うのは人でありその人自身の発想力によるものも大きく、人と機械の融合を図っていきました。そのことで、高度な技術と短納期対応が実現し、お客様への信頼と実績を積み重ねてきました。先人たちの苦労、過去の産物のお陰で私たちの事業が存続できています。
いつもそのことを忘れず感謝し、何事にも取り組んでおります。

そして、平成3年に岡山工場が創業しました。何故岡山に工場を構えたのか?よくある質問ですが、親族関係がいたわけでもなく、お客様がそこに存在していたわけでもありません。縁もゆかりもない場所に工場を構えたのは、実は先代社長が親しくしていた大阪の工場経営者の知人の方が、たまたま岡山の県北にも工場を構えることがきっかけでした。バブル景気の絶頂で試作の仕事も順調に恵まれていました。大阪から車で2時間半と交通の便もよく、自然災害も少なく土地も広く、団塊世代ジュニアの人手も多く、工場を建てるにはうってつけのタイミングだったのです。

しかし、工場の建設を終え、人手も機械も揃えた創業の年である平成3年(1991年)にバブル経済が崩壊しました。周囲の反対を押し切ってまで工場を建てただけに、のっけから仕事が無い状況は「内心非常に焦った」と当時の胸の内を会長が明かしてくださいました。それでも前を向いて進むしかないと強い気持ちを持って、岡山の地場のお客様の開拓を行い、大阪の本社で獲得した仕事を融通し何とか凌いでいきました。

今となっては、岡山工場を創業したことで、(本社)大阪工場が南海トラフ地震などで被害を受けて工場が稼働出来なくなったとしても、カバーする体制が整ったことは大きな財産です。その反対に岡山工場が万一被災し稼働出来なくなったできなくなった時も同様です。それはリスク分散にあたります。災害が発生し被害を受けることは誰も望んでいることではないですが、可能性はゼロではありません。それはSDG‘sの12番目の目標の「つくる責任、つかう責任」にあたるのではないかと思います。持続可能な開発目標の消費と生産は、メーカー様へ安定した開発品を供給できることで、新商品の発売に向けて安心して試作板金加工品をご依頼いただけるものと思います。私たちはその責任があるということも忘れず、これまで引き継いだものをより良いかたちへと発展させていくことが使命だと考えます。

取り扱い設備について